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  武田信吉 
 近世のはじめ、徳川家臣として佐倉市域を治めた武田信吉は徳川家康の五男として生まれ、幼名万千代君、母親が甲斐の国武田氏一族秋山虎康の娘おつまの局(下山の方)であったことから徳川家康は信吉に武田氏を名乗らせました。文禄元年(1592年)3月に4万石で佐倉の領主となりました。
 佐倉の領主として入った信吉は、本佐倉城ではなく大堀館に入ったといわれています。大堀館は「万千代屋敷」もしくは「根小屋」ともいわれており、古図には清光寺の裏手に「万千代殿ヤシキ オマンサマ」と記されています。近年までその所在地は不明でしたが、平成4〜5年に行われた本佐倉大堀遺跡の発掘調査において、堀で区画された居館跡が発見され、これらの遺構が大堀館跡にあたると考えられています。
 <「新佐倉 錦めがね 2011.5.15号」より>

(注)「大堀館」は現在のトライアルのあたりにあったと言われています。
上の図は「成田参詣記巻四」安政5年(1858年)の一部分 
                 担当 壷阪一弘