文明16年(1484)頃から天正18年(1590)まで、千葉氏の本拠地とされた城郭です。城の周辺には、城下町もさかえていました。この城跡の大部分は、現在酒々井町にふくまれますが、北西部の一部は、佐倉市になつています。その保存状態は良好であり、今でも壮大な土塁や空堀が残されています。 城跡は、曲輪という各々独立した平坦地によつて構成されています。本佐倉城跡の場合、10か所ほどの曲輪があり、「城山」「奥ノ山」「倉跡」と呼ばれる3つの曲輪がその中心をなしています。これらの曲輪では、掘立柱建物跡や往時の陶磁器が見つかつています。そして、これらの曲輪を支えるために、「東山」「馬場」「東光寺尾余」「セツテイ山」という曲輪も設置されていました。 また、この周辺には「荒上」「根古屋」と呼ばれる千葉氏家臣の屋敷跡があったと推定される地域や大手門があったといわれる馬出曲輪を持つ「向根古屋」の曲輪もあります。

 室町時代中期、文明16年(1484)頃から天正18年(1590)まで千葉氏の本拠地としての城郭です。標高約30m、東西約700m、南北約800m、面積35万u約10万6千坪あり、ここに10ヶ所程の曲輪(平坦な所)があり、城山、奥ノ山、倉跡と呼ばれる3つの曲輪が中心で、これらの曲輪の跡からは、往時の陶磁器や碁石、天目茶碗や杯などが見つかっています。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより滅亡しました。平成10年9月11日国史跡に指定されています。
担当 白木宏繁